第一次世界大戦による好景気の中、大正5年5月10日に神田今川橋で、「三田土護謨会社特約販売所」の看板を掲げ、西山ゴム商店は創業しました。その後も、日本のゴムメーカーの草分けである三田土護謨の特約販売所として、瓦斯会社、電燈会社、逓信省(郵政省の前身で、NTTも含む)へも品物を納めるなど出足は好調でした。
取扱商品は、三田土護謨会社がつくっているゴム長靴を中心にオーバーシューズ(雨降りの時に使う靴の覆い)、赤M印テニスボール、エボナイト製の丸棒、板、管(万年筆用)、ゴム板、消しゴムなど、日用品から生産資材のゴム製品までかなり多彩でした。
大正12年9月1日の関東大震災により3階建ての店舗は倒壊してしまいました。しかしながら、大地震のあとの復興は、災害地域が限られていたので、復興資材の手当ても円滑に進み、同じ場所に総2階の店舗を再建しました。
関東大震災の復興景気が下火になるとともに、世の中は不景気に見舞われ、昭和2年3月の金融恐慌、世界的な経済恐慌の荒波をかぶることになります。
1月に設けた大阪の出先は、株式会社の発足とともに大阪営業所の看板を掲げて改めてスタートしました。
ガスメータ用ベローズ型計量膜の開発依頼が、瓦斯会社よりアメリカ製サンプルと共にもたらされました。
これをもとにして昭和32年にメーカーとの共同により「サイレックス」を開発し、出荷しました。
その後、現在へと繋がるダイヤフラム型計量膜を昭和38年に開発を開始しました。
完成した新社屋は、当初の従業員宿舎を併設する7階建て案は、景気沈滞の為に断念したものの、1階のエントランスホールの床に磨いた御影石を使い、その床続きに鯉のいる池を配置して、壁には本磨きの大理石を使ったうえに2階に向けて螺旋階段が伸びているといったように非常に立派な建物でした。
昭和58年1月1日に「株式会社ニシヤマ」に商号を変え、ゴム、プラスチック製品に加え、新しい事業を模索していくことになります。そして、その結果、半導体と通信の分野へ参入することになります。
昭和61年には、製鉄所向けの電気亜鉛メッキライン、ガス会社向け石炭サイロ受入設備一式などプラント大型案件を受注したことが特筆されます。
昭和63年7月、ECによる市場統合と弊社のグローバル化実現のために、ロンドンにヨーロッパ駐在員事務所を開設しました。
平成2年には、サイレックス(ガスメーター計量膜)が昭和32年の開発以来、生産・販売数量1億枚を突破しています。
社史「七十五年の歩み」は、70周年の記念事業として、刊行を企図したものです。総ページ数は170ページに及び、75年の歴史を5章に分けて記してあります。加えて、社史スペシャルとして4つのエピソードを添えました。
※写真提供JR東海
平成16年には、中国市場の急激な拡大に伴い西山貿易(上海)有限 公司を設立し、成長市場への取り組みを開始しました。更に同年、都市ガス導管の安全維持用に動体除去機能付き監視カメラシステムを開発しました。
日経新聞全国版に全5段の広告を出稿